Sunday, November 24, 2013

緑アリのドリーミング その3(最終回)



翌朝まだ日も開けないうちに、出発です。今日は大潮で満月。進行方向左側から地平線すれすれに煌々と輝く巨大な満月が、大地にまばらに生える低木の影をつくっています。この世のものとは思えない情景に心打たれながら車を無言で走らせていると、こんどは、右の地平線がにじむように赤く染まってきました。日の出です。すべて仕組まれているような、大自然の演出に感動しながら、我々のボルテージは上がりました。月明かりによる低木の影が、徐々にフェードアウトして薄らと辺りの景色が確認できるようになってきたころ、前方に看板が現れました。アリゲーターリバーです。数十メートルほど前方に、幅40メートルほどの川が勢いよく流れています。
「なんだ?結構流れあるじゃない!」
川底に刺さるように立っている巨大定規のようなものが、水深計。おそらく一番深いところで80㎝くらい。
お互い顔を見合わせ。大きく深呼吸。
「ふぅーっ」
ギヤを四駆モードに入れていざ出陣。
時速10キロ程度のノロノロ運転。タイヤに何ものか「ドカ!」という鈍い感覚で車体が「ズリッ」
一瞬脳裏に大口開けたスーパーヘビー級のクロコダイルが頭をよぎるも、脇目もふらず無言で前進。
やっとのことで、対岸に到着。1時間にも感じられた実際の通過タイムは30秒程か。その間呼吸するのを完全に忘れていたことを、思い出し「ふはぁー」
アリゲーターリバー
 
 「アーネムランドへようこそ」とはどこにも書かれていないけど、大地からそう囁かれたような気がしました。「これはまたしても大地から呼ばれちゃいましたか」と確信するふたり。
 アスファルトじゃない真っ赤な土の道路を、土地煙を上げながら前進。360度地平線。巨大ほおずきのような朝日に焼け出されて、真っ赤に染まった岩。広大な湿原。ここは地球かと疑ってしまうような景色が続く。自分たちが渡ったのは、もしや三途の川だったのではと本気で思いつつ、ひた走る。
小一時間ほどオフロードを走り抜けると、小さな町(アボリジニのコミュニティー)が現れました。ここが目的地オーエンペリです。確かに町ですが、家というかプレハブのような粗末な建物が立ち並んでいます。町の中心には、共同売店が一軒と屋根のないガソリンスタンド。実にシンプルな町です。目ざすアートセンターは、売店の角を曲がったところにすぐに見つかりました。今回私たちの、受け入れ先として、アートセンターという各コミュニティーには、よくあるアボリジニアートを制作、販売する施設にお願いしました。今やアボリジニアートは世界的にコレクターも多く、高値で売買されています。草間弥生のようなドットで描く画が特徴で、ドリーミングなどの話を絵にしたものが多く、かつては美術品というよりも、許された者だけが描くことができた儀式用具であったそうです。
ここの経営管理をしているのは、白人スタッフ。町では唯一のアボリジニ以外の人種です。このようなコミュニティーにあるアートセンターでは、地元の人たちを集めて伝統工芸品(絵画や彫刻など)の制作場を提供し、若者たちへの技術伝授の場つくって販売まで行い、ここのコミュニティーの自立可能を目指しています。見れば、センターの敷地内の土やコンクリートの床の上に、大胆にキャンバスとなる布きれを敷いて、皆黙々と画を描いています。
お金持ちは、わざわざ命を懸けてアリゲーターリバーを渡らずに、ヘリコプターで国立公園内の5スターホテルから直行、そしてできるだけ年代物の高価な画を買って帰るそうです。アートセンターのすぐ横には、簡単ながらもヘリポートが隣接してありました。
受付で今日のアボリジニの壁画ツアーを予約していることを告げることしばらく。奥の部屋から見事なまでに真っ黒な顔に浮き立つ白い眼球、もじゃもじゃ頭。しゃがれた声で紹介されました。この方、歳は60歳ほどに見えるジョンさんが、今日の壁画の案内人です。近くにラスコー洞窟の壁画のような歴史的遺産があるそうです。
オーエンペリ
 
車でわずか数分のところに、連れていかれました。沖縄にある御嶽(ウタキ)のような、見るからに神聖さが漂う、大きな岩山です。ジョンさんに導かれるまま、そのあとを続いて山を登り始めました。途中いくつもの洞窟のようなところを通過する度に、中に案内してくれます。あるはあるは、岩壁にかつての狩猟生活を彷彿とさせる画が、壁一面に描かれています。そして、洞窟を出たところで、遠くの丘を指さしながら独特なしゃがれ声で語り始めます。
「あの丘には、ミミという神様がおる」
「ミミは手と足が長い巨人だ。ミミはワラビ―(小さ目のカンガルー)をペットとして飼っている。間違えちゃいけない。ミミが飼っているワラビ―はすぐわかるさ。弓矢を向けても逃げないでこっちを見つめているからな。ある日、ひとりの男が狩りに出た。そして戻って来なかった。村中の人間が探しに出た。そして死体で発見された。ミミのペットを間違えて殺しちまってミミに殺されたんだ」
ジョンは、その丘を見つめながら自信たっぷりに言いました「夕暮れ時とか、よくミミが現れるぞ」
ちなみに、本人は何度も見たことがあるそう。
私達は、完全に彼の誘導する世界に踏み入っていました。ミミを感じました。夕方までここにいれば、きっとはっきりと見えたでしょう。
彼との対話で確信しました。「世界観はつくられるもの」
現代人のまたは、ニッポンの文部省教育を受けた人間には、見えない世界が確実に存在します。科学、非科学。常識、非常識。過去、未来。信じようによっては、すべてひっくり返る。お互い脱サラして、アートを通して感じ取ってきたことを、彼によってポンと肩叩かれて太鼓判を押されたような感じがしました。
日本でも昔は、木霊(こだま)、沖縄なんかではキジムナーが見える人がいました。
 念じれば見えるUFO、はたまた曲がってしまうスプーンなども、その類なんでしょう。要は何を信じるかによって見える世界が変わってくるということです。
そのあと話題は、探し求めていた緑アリのドリーミングにおよび、しっかりとその存在を確かめることができました。ナバレック鉱山の付近には、Green Ants Hill(緑アリの丘)があって、そこにその巨大緑アリの話があるそうです。アボリジニの世界では、大地のそこらじゅうにドリーミングがあり、あの丘はカンガルー丘で、あそこはワラビ―だというように、それぞれのストーリーが存在します。それは、その丘が自然界に何万年も存在するように、形を変えず受け継がれるそう。
前回お話した通り、ドリーミングは彼らにとっての教えであり、法律です。日本国憲法のように為政者の都合によってコロコロ変わったりしません。アボリジニのエコロジーは最先端を行っているようです。
そして、最後に私達は恐る恐る、この旅の使命でもある重要事項を、ジョンに紹介されたこの村で権威のある人物に尋ねました。
「そのドリーミングを具現化してよろしいでしょうか?」
数秒の沈黙
「ああ。いいんじゃないか」
そのドリーミングは秘密厳守のドリームでは、ないのでヨロシイというお言葉。目頭が熱くなりました。誠に恐縮です。
 
地元住民のお墨付きを頂いて俄然やる気が出た私たちは、家に帰ってさっそく制作開始です。憑りつかれたように作り始め、あっという間にできました。全長6メートルの巨大アリ。数千個のウランガラス玉仕上げ。暗闇で緑色に発色します。アーネムランドのみなさんに喜んでもらえることを祈ります。日本にもいつか上陸させたいですね。

ケン+ジュリア ヨネタニ作、ウランガラス製巨大アリ。



完。

Friday, November 22, 2013

緑アリのドリーミング その2


シドニー空港から、5時間半のフライトでオーストラリア最北の都市、ダーウィンへ。成田から5時間半も飛んだら、シンガポールあたりまで行くんじゃないでしょうか。オーストラリアはとにかくデカいです。

ダーウィンに着いたら、今度は予約済みの三菱の四駆キャンパーバンでひたすら東へ走ります。冬だというのに、赤道にほど近くに位置するここダーウィンはとにかく暑い。永遠とつづくかのような真っ直ぐな道を、数百キロも走ると有名なカカドゥ国立公園に入りました。
公園内をさらにもう百キロひた走り、ジャビルーという人口たったの1000人余りの町に到着です。実に閑散としていて、耳鳴りがするほどの静けさ。ちょぼちょぼと人が見えますが、すべて見事なまでに真っ黒な肌をしている、原住民アボリジニの方ばかり。白人ばかりのシドニーとは大違いです。

この辺鄙な町で自分たちは、これから訪れるアボリジニの管理居住区、アーネムランドに入るための許可証を得る必要がありました。オーストラリア大陸では、白人の入植によって原住民のほとんどの土地は奪われましたが、この土地は、いまだに彼らの土地として厳密に管理保護されているところです。

ノーザンランドカウンシルというところから、訪問先(受け入れ先)や訪問理由を聞かれ、日本円で数千円程度の通行料を払って、完了です。

一つだけ、忠告されたことがありました。アーネムランドへ入るには、アリゲーターリバーという川を渡らないと入れない。しかも、その川の水位は、潮の満ち引きで上下し、引き潮の時間を狙っていかないと無理。だから、今日はもう遅いね。ということでした。

そうです。勘がいい人はもうお気づきのことと思いますが。アリゲーターとは、あの巨大人食いワニのこと。ウヨウヨいるので、そんな恐ろしい名前の川になったそうです。

対応して頂いた職員のオバサンは、おつりを渡しながら、もう一つ。と言って、最後に付けくわえました。

「もしも、川を渡っている途中で車が深水にはまって立ち往生したら、車内から出るな」なんというありがたい忠告。
ジャビル―にあるノーザンランドカウンシル

とりあえず、川から一歩手前のキャンプ場でその晩は、夜を明かすことにしました。干潮は、翌朝5時半です。キャンプ場は、日が暮れると同時に今まで経験したことのないほどの蚊の大群がやってきました。まるでヒッチコックの「鳥」さながらの蚊の大群は、キャラバンの小さな窓に取り付けられた網戸を外の景色が見えなくなるほどぎっしりと埋め尽くし、不気味な音を奏でていました。というわけで、トイレにも行けず畳三条ほどの狭いキャラバンの中で、蚊の協奏曲を聞きながら朝まで過ごす羽目に。

つづく。

緑アリのドリーミング その1

  ドイツ出身ヴェルナー・ヘルツォーク監督のWhere the Green Ants Dreamという映画をご存知でしょうか? 
 ヴィム・ヴェンダースといえばご存知の方は多いと思いますが、彼と同じくニュー・ジャーマンシネマを代表するドイツの映画監督です。他にも、なかなかいい映画作っている監督です。
 彼の映画を一言で表現するのは難しいですが、あえて言えば、独特なユーモアと政治性があって、見た後ガッツンくる映画ですかね。この映画、調べたところ邦題では、「緑のアリが夢見るところ」と言うそうです。
 

ストーリーは、オーストラリアのアウトバック(ド田舎の砂漠地帯)から始まります。 そこで鉱山会社によるウラン鉱山開発の話が持ち上がりました。田舎の砂漠地帯といっても、誰もいない無法地帯というわけじゃありません。
遡ること数千年、この大地で太古から暮らすオーストラリアの先住民族、アボリジニのれっきとした土地でした。当然、開発には猛反対です。鉱山会社に金を積まれても、頑として動きません。それには、理由がありました。アボリジニに先祖代々から受け継がれた、「ドリーミング」といわれる神話です。
彼らは、「あんたらが掘り起こそうとしている地中には、巨大な緑アリが眠っているから起こしちゃならん」というのです。現代人である理性的な白人の鉱山会社社員に、この発言は通用しません。
「はあ?なんだって?どこにそんなバカな緑のアリがいるんだ!?」と怒鳴られて終わり。最終的には、鉱山会社の執拗な説得に折れてしまいます。

「緑アリのドリーミング」そんなものが、実際に存在するのでしょうか?

さっそく調査開始。元歴史家ジュリアの必殺技「リサーチ」です。

あっという間に、模範解答が弾き出されました。さすがです。

 場所は、オーストラリアの最北の地アーネムランドに位置するナバレック・ウラン鉱。(現在は閉山している。)住民らアボリジニの反対を押し切って、1970年ごろから掘削が始まり、79年より開山そして88年に閉山。その反対運動の資料の中に、ありました。

そこの土地のドリーミングの中に、Gabo Djang (Green Ant Dreaming)、日本語に訳すと「緑アリのドリーミング」という次のような不思議な話が。

「その大地を掘り起こせば、たちまちその地中から巨大な緑色のアリが出現し、世界を踏み潰し、破壊するだろう。」

その話は、ナバレック鉱山からほど近いオーエンペリというアボリジニーのコミュニティー(村)に行けば、おそらく住民らから聞けるのではないかということでした。
大陸中央一番上端あたりに位置するのがナバレック鉱山
 
ドリーミングのことを先ほど神話といいましたが、「教え」または、「法」と考えた方が無難でしょう。例えるならば、ニッポンでいうところの日本国憲法みたいなものですかね。
ドリーミングというのは、代々言い伝えられてきたストーリー(お話)の数々です。彼らの生活は、全てこのドリーミングによって規律を与えられ、支えられてきました。当然その土地の自然環境も、ドリーミングによってしっかり守られてきました。

このドリーミングの教えに従って、地元住民らは鉱山開発反対を訴え続けましたが、鉱山会社の功名で強烈な圧力を前に、ヘルツォークの映画の結末と同じく屈してしまいます。

 オーストラリアは、ウラン埋蔵量で世界一、輸出量では第三位。日本との関係でいうと、日本の原子力発電の燃料としてのウラン輸入先の第一位が、オーストラリアです。1974年に時の首相、田中角栄はオーストラリアの首相ウィットラムと会談し、76年から10年間、ウランの大量購入を約束しました。福島第一原発にも燃料として使われたそうです。

 東宝のヒット作「ゴジラ」のような話が、実際にアボリジニのドリーミングに存在したのです。しかも、巨大緑アリの破壊は、単なる言い伝えを超え、現実にフクシマという形で起きてしまいました。彼らは、われわれ現代人の合理的思考とは正反対の非科学的、ごく直感的な思考形態を持ちます。きっとこうなることは何千年も前から、予測がついていたのでしょう。

ガイジン(白人)がナバレックの大地掘りおこす。→ウラン日本へ運ばれる。→原発の燃料として使われる。→巨大緑アリ大暴れ=フクシマ。

 

これは、完全なるアボリジニの予言。我々の盲信する科学の力は、未来が見えるアボリジニの世界観に完敗です。

ゴジラにしろ、黒沢明の映画「夢―赤富士」にしても予知夢的な傑作だと、ちまたでは原発事故後に騒がれましたが、「緑アリのドリーミング」は、何千年も前から伝わる正真正銘のホンモノです。



  私達は、さっそく旅立ちました。「緑アリのドリーミング」を求めて。

ケン+ジュリアは、実行力の速さにおいては誰にも負けません。別の言い方をすれば、ただ衝動的なだけなんですけどね。

つづく。 

 

Monday, November 18, 2013

シンガポールビエンナーレ2013に「クリスタルパレス」

 ところで、
 ケン+ジュリア ヨネタニのシンガポールビエンナーレ2013への出展作品「クリスタルパレス:万原子力発電国産業製作品大博覧会」とはなんなのでしょうか?
という人のために、簡単に説明いたします。

 クリスタルパレス(水晶宮)とは、世界史に強い方はご存知かと思いますが、1851年イギリスはロンドンのハイドパークに建てられた、全面ガラス張りの巨大な宮殿です。
 その大英帝国が誇る巨大な建造物は、第一回万国産業博覧会の会場として使われました。
こんなかんじ。
 
 そのころのイギリスでは、軽工業中心の第一次産業革命から重工業中心の第二次産業革命への移行期。 各国が威信をかけて、国力を競い合う場となりました。今でも万博といえば、オリンピックと肩を並べるほどの大イベントですが、すでに19世紀の一大人気イベントとなっていたそうです。
 当時は、カールマルクスなんかが、資本家のおバカなイベントだと酷評したらしいですね。
 
 そして時は過ぎて1936年。会場となったそのクリスタルパレスは、不運にも火事で焼失してしまいます。
 
全焼です。これってどっかで見たような。
 
みたいな。
 建設された当時1851年は、大英帝国繁栄と栄光の頂点にありましたが、その後イギリスの繁栄は下降線をたどり、80年後には、その超大国の地位を新興国アメリカに完全に奪われていました。クリスタルパレスの焼失は、大英帝国の没落の象徴として歴史に刻まれたそうです。
 後のイギリス首相となったウィンストンチャーチルは、「これは、ひとつの時代の終わりである。」とコメントしたそうです。
 
 リサーチはざっとこんな感じで、制作開始です。
「派手にいきましょ。はでに」
 
 
 ウランガラスのゴージャスなシャンデリア。
 世界の原子力発電保有国、全部で31カ国分として、シャンデリアも31個。その一つ一つに国名を付けました。
 題して、「クリスタルパレス:万原子力発電国産業製作品大博覧会」

 制作年数は、2年もかかりました。えらいつかれました。 金かかりました。
というわけで、
「もうこれ以上作りたくはない!」
とお互いの意見が強く一致しましたが、無情にも世界情勢は、私たちに更なるシャンデリアの制作を促しているようです。
 
中央の一番大きな2メートル級のシャンデリアは、原子炉数、出力ともに断トツ一位の「U.S.A.」と名付けました。
シンガポールビエンナーレ2013、シンガポール国立博物館の地下一階の会場に展示中です。
 
 
 ちなみに、ウランガラスってご存知でしょうか?実は、私たちもそんなものがあるなんて知りませんでした。
ガラスの中に、微量なウランが含まれていて、紫外線ライト(ブラックライト)を照射すると、妖しく緑蛍光色に発光するという珍しいガラスです。
世界的にコレクターも多く、その発光色が美しいことから、19世紀終わりごろから20世紀中ごろまで、結構生産していたようです。
 しかしながら、世界各国が核兵器開発競争の時代に入るとともに、評判が悪くなって生産が減少したようです。ヴィンテージアイテムは、値段も張りますが、少なからずいまだ生産しているところもあって、ネットなんかで売買されています。 興味があったら、ご自分で調べてみることをおススメします。 ちなみに専門家による一般展示のための安全審査はしっかりとパスしてますよ。
 
 
 




私は、アート(パニック)発作を起こしました。


 ケン+ジュリア ヨネタニのシンガポールビエンナーレ2013出展作品「クリスタルパレス」が恐ろしくて、パニック発作を起こしたという記事が、‘I had an art(panic) attack.’「私は、アート(パニック)発作を起こしました。」と題して地元ストレーツタイムズ紙に載りました。

 今までこの作品については、様々な記事が書かれましたが、これほど興味深く鑑賞者の心理的部分を露骨に表現してくれたものは、ありませんでした。


内容は以下に簡単にまとめて翻訳しました。

  筆者は、シンガポールビエンナーレ会場にて目にした作品「クリスタルパレス」が、微量なウランを含有するウランガラス(*ブラックライトを照射すると緑蛍光色に発光する。世界的にコレクターは多く、ネットなどでも簡単に入手可能。)を使用していることを知り、心理的にパニックに陥ります。そして、同時期に体調を崩したことが、この作品のせいではないかと猜疑心を抱き始めました。会場のシンガポール国立博物館で、作品を鑑賞した後の数日間は、自分は死ぬのではないかと本気で思い詰めたそうです。

 当国立博物館に問い合わせたところ、作品の安全性は、専門家(National Environment Agency国立環境調査機関)による審査をクリアし、公の展示は問題ないと説明されます。

 それでも疑いが晴れない筆者は、急患で病院に駆け込み、血液検査まで受けました。診断の結果は、ウィルスによるもの。医者に作品とは何ら関係ないと一蹴されてしまいます。

 筆者は、作品を観た後に、自身の放射能に対する恐怖心が刺激され、妄想が拡大していった経緯を赤裸々に綴っています。

 そして最後に、こう述べて締めくくります。

「しかしながら、この作品の凄さを称賛せざるを得ません。つまりそれは、鑑賞者から作品への親近感を引き剥がすという、ほとんどの美術作品において、望んでも成しえない「凄み」なのです。それは、美とパニック(発作障害)の狭間を絶妙に歩くことといえるでしょう。結局のところ、私は、その作品によって変化をもたらされました。つまり、そういったことが、多くの美術作品の一つ一つに望まれることではないでしょうか。」

 実に真のこもったすばらしい記事でした。記者のクララさんには、誠に感謝です。
それにしても、ここまで恐れおののいて頂けるとは。
 こんなこと言ってはなんですが、作った方としては、彼女のような反応に、作品に込めた思惑が一つ成功したような気がして、二人ほくそ笑んでおります。
 

 
 

 ありがとうございました。



シンガポールビエンナーレ2013に、ケン+ジュリア ヨネタニ (米谷 健+ジュリア)は、ウランガラスで制作した最新作品「クリスタルパレス:万原子力発電国産業製作品大博覧会」を出展してます。2014年2月16日まで開催。
http://www.singaporebiennale.org/?page=artist_bio&artist=49