http://www.cinemas-utopia.org/saintouen/index.php?id=2477&mode=film
これは前回紹介しましたAbbaye de Maubuissonにおける我々の個展「Un autre rêve(もうひとつの夢)」のために美術館が企画した特別上映会です。ちょうどパリで日本映画祭「Kinotayo 2014」が開催されることを踏まえて、それに合わせて催す予定です。美術館側から、私たちの作品と関係のある映画を一つ推薦してほしいという依頼を受け、即返答したのが黒沢監督の「夢」でした。
上述した我々の展示会のタイトルも、何を隠そう黒沢監督の「夢」を意識したものです。「こんな夢をみた」で始まる映画も実は、同じ書き出しで始まる夏目漱石の「夢十夜」を真似たようですが。
我々の作品は、今現在の自分たちのメランコリア(憂鬱)さらには未来に対する漠然とした不安が制作へのモチベーションとなっているわけで、黒沢監督作品のように未来を予見するようなものでありたいと常日頃から願っておりました。
黒沢監督作品のすごみは、社会的リアリティーに対する絶妙な斬り込み方はもちろんですが、それよりも自分が注目したいところは、監督のまるで未来を予見したかのような「第六感」です。
オーストラリアの先住民やアメリカ先住民らの先祖代々伝わる「口伝」の中に、現世を予見したかのような内容のものが見受けられるのも、そんな「シックスセンス」と言われる能力なのでしょう。つまり理性を超えた「離れ技」です。
監督作品のなかで「生きものの記録」というのも捨て難かったのですが、詩的な作風であり、また今となっては原発事故による人々の混乱の様子を実にリアルに描いたといえる「赤富士」(映画「夢」に含まれる短編映画の一つ)を、これを期にどうしても上映したかったので「夢」にしました。
あとこれは蛇足ですが、というよりもかなり重要なことなのかもしれません。今になって気付きましたが、奇妙な偶然がありました。
「夢」は8つの短編で構成されていますが、その一つ第5章の「鴉(カラス)」で描かれたのは、20世紀の印象派巨匠ヴァンゴッホ。
そんなゴッホが、なんと我々の会場にほど近いオーヴェール・シュル・オワーズというところで晩年を過ごしたそうです。
なんという偶然!
絵が売れず最後までド貧乏だったそうです。その点に関しては、我々も偶然を飛び越えて親近感さえ感じてしまいますが。
内容は「黒沢監督本人が夢のなかでゴッホの絵を観ていると、いつしか絵のなかに入っていた」という風変わりなストーリー。
寺尾聡演じる絵の中に入り込んでしまった監督が「ここはどこ?」と思っていると、景色はゴッホ晩年の作「カラスのいる麦畑」
ゴッホ厚塗り絵の具で描かれた風景がそのまま映像と化します。
「カラスのいる麦畑」ヴァンゴッホ 1890年作
「夢ー『鴉』」黒澤明 1990年作
「うーむ。やはり黒沢監督だけではなくて、ゴッホにも呼ばれてしまったのか」などとまたも勝手に思いを巡らせています。
とにかく偶然が多いことはいいことです。経験則から言って偶然が重なってくればくるほど、なぜか万事上手く行きますから。
黒沢作品のあの時代と国を超えた感動を、我々の作品とともにパリジャンおよびパリジェンヌにも是非じっくりと味わって頂きましょう。
No comments:
Post a Comment